久保田薫コラム

久保田 薫 アメフト マンダラ

第35話
久保田 薫 アメフト マンダラ
其の2 ビル ウォルシュいよいよNFLヘッドコーチに(5)

ウォルシュが49ersの第11代目のヘッドコーチに就任したのは1979年1月であったが、とりあえずの最初の大仕事はドラフトで優秀な新人を獲得することであった。
もちろん、NFLでのチーム作りと云えば守備も当然大事だがパス攻撃は殆ど持って生まれた天性によるものが大きい。
その為には優秀なQBとレシーバーの獲得、そしてオフェンスラインに堅牢なパスプロテクションをできるように指導することが一番である。

以前にも少し書いた事があるが、ウォルシュがチャージャーズでQBコーチをしているときに「QBの指導にあたっての秘訣を教えて欲しい」と聞くと「まずセンターからのスナップがきちんと捕れること」、そしてこれは余りにも当たり前なので前回では書かなかったが「元々素質のある良い選手をスカウトすること」という全く騙されたような回答であったが、ウォルシュはコーチ生活で初のプロ チームのヘッドコーチになったがここで「持ってる選手」と運命的とも云える出会いをすることになり、結果としてその出会いがウォルシュの評価を高める最大の要因でもあった。

一発タッチダウンのロングパスよりも効果的なパス攻撃が構築できれば絶対に負けないという持論のウォルシュにとっては強肩のQBは必要ではなかった。
彼がチャージャーズのQBコーチをしていた時から目をつけていた大学のQBがいた、クレムソン大のスティーヴ フラーである。

彼は何度も大学に出向きフラーとも話し頭も良く性格なども申し分ないことを確認していた。
そして、49rsでヘッドコーチという絶好のポジションを得たウォルシュは自身の描くオフェンスに最も適しているQBとしてフラーをドラフト1位で指名すると決めていた。
ところが全く予想もしていなかったカンサスシティ チーフスが先にフラーを指名してしまった。
こんなことはフラーから全く聞いた事もなかったしメディアからもそのような情報は全くなかった。

ヘッドコーチ1年目にしていきなりそのオフェンスを率いさせる予定にしていたQBが獲得できないという大きな誤算が生じてしまった。
良いQBは殆ど1巡目で決まってしまうので2巡目3巡目になるとプロですぐ使えるようなQBは残っていないのが常識である。とはいうものの49ersのQB陣ではサンノゼ大出身でウォルシュも学生時代から良く知っている3年目を迎えたスティーヴ ディバーグぐらいしかいないのでQBを補充する必要はあった。
そして、3巡目になってルーキーのリストを見ると名門ノートルダム大出身でサイズとしてはさほど大きくもなく、どちらかというとひ弱さを感じさせたが大学時代は何度も大逆転劇を演ずるなどそこそこ名前は知られていたジョー モンタナがまだ指名されずに残っていた。(写真・10)

この時代の各チームのスカウト達はQBの第一条件が強肩であるということであった、モンタナは神がかり的な逆転劇を大学時代から数多く演じてきているがやはりスカウトからは評価が低かった。
それとNFLのハードな守備陣に立ち向かえる逞しさに欠ける面があるという風評もあってか名門大出身にしては3巡目まで指名されずにいたと思われる。
ウォルシュは当然モンタナを知っていたので、肩は強くないがとりあえず動ける脚力があるので自身の求めるオフェンスには使えるかもという気持ちで3巡目(全体の82番目)にモンタナを指名することにした。

そして、1位で指名する予定のフラーが他チームに獲られたために余った一人分のドラフト権でスティーヴ フラーを得るために何度も訪れたクレムソン大のレシーバー陣の中にさほど俊足ではないがガッツがあってパス レシーブが上手いという選手がいた事を思い出し、ドラフト10位(全体では249番目)でどこのチームも指名しそうになかったWRのドワイト クラークを指名した。(写真・11)
普通NFLのドラフトで10巡目で指名された選手はサマーキャンプまでもてばいいほうでありNFLにドラフトされただけでもましかと自身を慰める程度のものであった。

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