久保田薫コラム

久保田 薫 アメフト マンダラ

第34話
久保田 薫 アメフト マンダラ
其の2 ビル ウォルシュいよいよNFLヘッドコーチに(4)

今、日本でも楽天の田中投手と日本ハムの斉藤投手の因縁がよく話題に上るが、斉藤投手については「彼は持っている」という言葉が流行語のようになっているが、正直言って斉藤投手がダルビッシュ投手のような押しも押されぬ大投手だとは誰も思っていないと思われる。
しかし、何故か大きなピンチを迎えても何となく切り抜け終わってみれば勝利投手になっているという姿を認識しているファンは多くおられると思います。

ビル ウォルシュの49ersのヘッドコーチとしての戦績を見ると、10年間で3敗以下のシーズンは1981年の3敗、1984年の1敗、1987年の2敗と3シーズンしかない。
そのうちの2回はスーパーボウルも制覇しプロの王座に輝いているが1987年はディヴィジョナルプレイオフで敗れてしまい、逆にウォルシュの最後のシーズンとなった翌1988年には10勝6敗であったが3度目のスーパーボウル チャンピォンの座についた。

ウォルシュの人生において49ersのヘッドコーチに就任するまでの23年間のコーチ生活はコーチ業が何より好きだと言ってもとても我慢できるようなものではなく想像を絶するような忍耐と屈辱の日々であった。
特にウォルシュはベンガルズにいた8年間に受けた屈辱感は普通ではなかったと思うが、ウォルシュは恨むこともなく逆にその事を教訓とし自分が他人に接する時は「その人を大切にする」というごく単純なことを信条とするようになった。

実際、ウオルシュの運命は49ersに移ってから過去の辛い忍耐の日々とは縁のないような華やかな毎日で突然全てが良い方向に向かいだした。
ウォルシュはどんな素晴らしい選手でもコーチ、マネージャー、広報マンであろうと、チームがそれらの人達の事をどれだけ真剣に考えてくれ、自分を大事に思ってくれているか、そのことがチームに関わっている人全てに判るようなチームの組織にしたいと常々言っていた。

ベンガルズのオーナー兼ヘッドコーチのポール ブラウン(写真・9)に自分の将来を遮られるような妨害を受けたが、次に出会ったチャージャーズのヘッドコーチのトミー プロスローには常に人の成功を願って接するということを教わり、実際 ウォルシュもすぐ次の道に進むよう進言されアドバイスまでしてもらった。
だから、ビル ウォルシュの元で仕事をした多くのアシスタント コーチがNFLの多くのチームからヘッドコーチにと誘いがあっても決して妨害するようなこともなく喜んでそれぞれのコーチを送り出し、例え教え子が宿敵のヘッドコーチとして招聘されていても相談事があればいつでも聞いているという。

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