久保田薫コラム

久保田 薫 アメフト マンダラ

第28話
久保田 薫 アメフト マンダラ
其の1 ビル ウォルシュとの出会い(3)

ケリー ジャクソンの事から思わぬ方向に話が進んだが、ジャクソンと3日ほどだったが同室で当時のオクラホマ大のことを色々と話してくれた。

ジャクソンは黒人で身長は190cm弱、体重102kg、40ヤード/4秒7という俊足で、しかも強肩でもあった。

当時のオクラホマ大は前述したように攻撃の殆どがランプレーでパスは1試合で数十ヤードという極端さであった為、チームにとって彼の強肩がさほど必要でないのは理解できないこともない、しかし当時のスタートQBは自ら「I am too short, too slow(自分は小さくて足が遅すぎる)」と言って周りを笑わせるほどいつも陽気で明るい性格のスティーヴ デイヴィスという選手だった。(写真・5)
実際に、この当時のオクラホマ大の選手は殆どのスターターの選手がドラフトに指名されるのだがデイヴィスはサイズもスピードもないから絶対にプロではできないとプロ行きの事など全く気にせずサバサバして話してくれ、卒業後はテレビのサイドラインレポーターとして活躍をしていた。練習を見ていても自ら言うようにデイビスの足が特別速い訳でもなく、パスに至ってはひどいもので距離はもちろんコントロール、ボールのスピードもジャクソンとは比較にもならないほどであった。だがジャクソンと最も大きな違いはデイヴィスは白人であるということであった。

私は不思議に思い当時のバックス コーチにどうしてケリー ジャクソンをスターターにしないのかと聞きに行ったら自分の黒い肌の顔を指差し、カラーの問題ではないと思うけど、俺にはスタートを決める権限はないのでヘッドコーチのバリー スイッツアーに聞いてくれと云われた。

当時のカレッジ、プロで今では信じられないことだがグランブリング大のように黒人中心の大学を除いては黒人のスタートQBは一人もいなかった。もちろん、ヘッドコーチにも黒人は一人もいなかった、1974年当時にもう差別はないと聞かされていたがこのような現実を目の辺りにするとまだあるのかと思わざるをえなかったが、当時はまだそのような風潮だったということかも知れない。

私の目から見てケリー ジャクソンの運動能力は高くすぐれた才能を持っていた。

そのジャクソンもキャンプ一日目はQBのグループに入って練習していたが、二日目にはWRのグループで練習し、3日目にはQBのグループ、WRのグループにも姿はなくどこにいるのかと思ったらDBのグループとキック リターナーのグループで練習していたのが目に入った。

結局、そのまま解雇通告され翌日の朝食後いなくなり日本での再会の夢は終わった。
その後、ジャクソンはNFLのチームを数チームテスト生としてキャンプに参加したがどこも採用するところはなかったと聞いた。ジャクソンが凄いアスリートであるというのは単なる私の思い過ごしだったのかも知れないが、そのことから既に35年経っているが今でもなかなかそうとは思い込めないでいる。

当時のサマーキャンプでは朝食を受け取るトレーにコーチからのメモが入れられるのだが、これが解雇通告で、採用かどうかのギリギリの線上にいる選手は朝食の時が一番イヤだと言っていたのが理解できた。

解雇通告された選手の中にはコーチ達が食事を摂っている別室に来て、「コーチ、俺はまだこんなに身体はタフだ」とコーチの目前で腕立て伏せなどを何百回もやってもう一度チャンスを与えてくれと懇願する選手もいる。私はこの時初めてプロというものの厳しさを知った。

ジャクソンは解雇通知を受け取った後、コーチがキャンプ初日に私を日本のセミプロチーム(社会人チームの事をそのように表現した)のヘッドコーチをしていると紹介したので、彼は私に日本のチームで採用してもらえないのかと聞いてきた。今なら方法はあっただろうが当時は全く無理な話であり、今でも思い出すと何とかならかったものかと悔いが残る出来事であった。

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