久保田薫コラム

アメリカンフットボールの起源と歴史

第12話
アメリカン フットボールの起源と歴史
第2章

今から500〜700万年前に猿人が誕生し、50万年前ほど前にその猿人から原人が誕生しその代表格が北京で発掘された北京原人で、15万年〜4万年前には旧人と呼ばれるネアンデルタール人、そして4万年ほど前にヨーロッパの人類の祖先と云われる新人・・即ちクロマニヨン人が誕生したと云われる。

このような人類誕生説が一般的には知られていることですが、実際のところハッキリとした事は未だに謎が多く誰も断定には至りません。殆どは解明されているとは云えまだ推測の部分もあるということです。

そんな状況下でフットボールの起源など正確に判るはずもなく、公式に競技として行われた事実は各競技の歴史を見れば明確だが、果たして起源となるといつ何をもってして起源なのか疑問の残るのは当然であろう。 原人時代の当時の民族は農耕を営み狩りをし、そこから様々な文明を生み出していき現代に至った、というのが大まかな人類の進化の歴史ではないかと思いますが、私は人類学者ではないので確かなことは判りませんが、進化の過程において自然進化のみならずいつの世代でも何らかの努力や工夫をして物事を前に進めてきた事は間違いないと思っています。

4万年前に新人と呼ばれるクロマニヨン人が前述したようにヨーロッパ地方の人類の祖先ではと云われているが、すでに火や道具を使用しており現代人の祖先に違いないことは間違いないでしょう。 当然、新人あるいはそれ以前の旧人、原人、猿人、動物であっても生きるための行為以外で、何かで遊ぶというような行為も必ずあったと思います。

狩りは生きるためには欠かせない行為であり、その為の闘争というのも付帯事項としてあった事でしょう。38億年前に地球に生命が誕生した時から種の存続繁栄の為のあらゆる行為が行われてきたに違いありません。 現在ペットとして飼われている猫や犬でさえピンポン球やゴムボール等を投げてやるとじゃれたり走って取りに行き口にくわえて飼い主のところに運んだりします。

当然、原始時代でも洞窟などでグループで暮らしていたような時に、何人かでその日の獲物の頭骨を蹴ったり奪い合ったり、または石を遠くに投げたり、槍のようなものを作り標的に向けて投げたりしてひと時の戯れを楽しんでいたことは容易に想像できます。

人類が誕生して現代に至るまで、いつの世も縄張り争いは絶えることがなく、過去の歴史はまさしく国盗り戦争即ち縄張り争いそのもので現代でも続いています。

ですから700年代のイングランドで戦いに勝った戦士達は奪った相手の王の首を持ち上げ雄叫びをあげ、その首を蹴って勝利に酔いしれたと云われています。 侵略と闘争に明け暮れた時代背景から考えると特別に野蛮で残虐な行為とも思われず、むしろ自然な流れであったかも知れません。

1725年 グリーンランドでフットボールをしているエスキモー)

これが、後にボールを蹴るゲームに変化していきサッカーの原点になっていると云えるかも知れません。 しかし、紀元前1500年くらいにはアンデスやチリ、紀元前800年にはメキシコのマヤ遺跡などからボールを蹴るという遊戯的なものがあったと云われ、紀元前200年には古代エジプト、古代ギリシャ、古代ローマなどの遺跡からは足でボールを蹴っているような人物のレリーフが発見されているのも事実です。

だが、中国にはそれより早い紀元前300年に蹴鞠(しゅうきく・けまり)という競技が宮廷内で行われ、球門(現在のゴールネット)が競技場の中央もしくは網の上に作られ、鞠を奪い合い球門に入れた回数を争うというものであったが、私自身はサッカーの起源はこの蹴鞠だと思っていますが、日本でも600年代に中国から仏教とともに伝来し平安時代に流行し、現在でも時折当時の服装で鞠を蹴っている姿をTVのニュースなどで見られた事があると思います。 アメリカの文献にも紀元220年の終わりの中国の皇帝の誕生日に絹のカーテンにあけられた穴に鞠(まり)を入れるという球技が行われており、その球技はTsuーChu(Kicking Ball ー 蹴球)と呼ばれていたとあるが、これは文字通り蹴鞠の事だと思われます。

蹴鞠で一番驚くのは使用していた鞠が鹿の皮に羽根などを詰め込んだり動物の膀胱に空気を入れた軽いものが使用されていたということです。 この蹴鞠がモンゴルや東欧、そして東南アジアでは鞠を蹴るという意味のセパタクローとして伝来し現在でも盛んに行われています。

これらの事から考えると、中国と古代ギリシャ、古代ローマとの間での日用品、装飾品、絹などの産物の交易路だったシルクロードを通じて、産物と一緒に文化や遊戯、蹴鞠なども伝わったのではと思われます。 それが古代ギリシャなどで行われていた町同士の格闘技のような競技であった球技ハルパストンまたはハルパスタン(Halpaston,Halpastum)として伝わったが足技だけではなくボールを手で投げたりしていたことからハンドボールの起源とも云われています。

フィールドは長方形でボールを投げても蹴っても手を使ってもよく、両チームともゴールラインを目指し、特別なルールもなく殆ど現在のサッカーやラグビー、ハンドボールに近い競技が2000年以上も前に行われていたことになり全ての球技の原点であるかも知れません。

同じ頃の紀元217年、大英帝国のフットボール チームがローマの宗教団体チームと町で試合をし勝っているが、これは「Shrove Tuesday Game」(シュローヴ チューズデイ ゲーム・・キリスト教の4旬説の始まるAsh Wednesday(灰の水曜日)の前日の火曜日に行われる試合・・)と云われ、教会の門などをゴールに見立てたりして当時は盛んに行われていた。

このように南米、中国、ギリシャ、ローマ、イングランド、フランス等各地にフットボールは広まっていったが、当時の時代背景からやはり宗教がらみが多いのは否めないだろう。 いずれにせよ、古代のフットボールは大英帝国で飛躍的に普及発展していきました。 ただ、古くからサッカーの起源説を信じて疑わない中国で紀元前1万年の地層から球状の石が発見され、中国の関係者はサッカーの発祥の大きな証拠だと大騒ぎになっているということだが、ボールのようなものが化石になって出現したのか、本当に石を丸く削って出来たものなのか詳細は判らず、仮にそうだとしたら石の球などとても蹴ることはできず、不可解な部分はまだまだ多いように思えます。

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